かつて古代ハワイには”カプ(KAPU)”と呼ばれる厳しい規律がありました。
現在もハワイ語で「禁止」「禁忌」という意味で残っていますが、古代ハワイにおいてのカプは大変厳格な規律でした。
カプを破れば命をもって償わなければならないという、死に直結する強い掟であったのです。
この記事ではハワイのカプ制度について、具体的にカプとはどのような内容だったのか、カプの終焉について紹介します。
目次
カプとは「厳しく社会を取り締まる掟」
カプ制度とはハワイを含む太平洋文化圏で広く信じられている、マナ(神聖な力)に対する畏怖から生まれた絶対的な戒律のことです。
古代ハワイのカプ制度はポリネシアで一般的であるタプ宗教が基になっており、西暦500年から700年ころに無人島だったハワイ諸島に初めて渡航したポリネシア人がきっかけと言われています。
カプ制度はポリネシア人上陸後から12世紀の間にできたと
「○○してはいけない」「○○しなくてはいけない」という決まりが、身分の階級・職種や職位・性別によって細かくカプが決められていました。
12世紀から1820年まで続いたカプは非常に厳しいもので、ハワイアンの生活全般にわたって多くの禁止事項がありました。
日本と同じく島国であるハワイは、基本的にすべてにおいて自然に依存しています。そのため、自然界に対する尊敬や崇拝、環境を守る意味において、根本的にカプ制度は大切な制度でした。
しかし、極端に掟が増え、厳罰化するようになった出来事が発生します。12世紀ごろにサモアからやってきたパーアオという者が、身分を偽って当時の暴君だったハワイの王を倒したことにより、神官(カフナ)の地位に着きました。
しかし彼は母国のサモアでは犯罪者だったため、ハワイにおいて自身の存在や身柄を隠す必要があり、影響力をさらに強力にして我が身を守ろうと、それまで以上にカプを厳しく制定したのです。
1819年にカメハメハ大王が亡くなってすぐ、後を継いだ息子のカメハメハ2世のときに、300年以上続いていたカプ制度は廃止されました。以来、ハワイには急速にキリスト教が広まり、文化や社会が近代化していきます。
カプにはどのようなものがあった? 代表的なカプの内容とは
カプ制度は生活全般に関わり、さまざまなものがありました。ここではその中でも代表的なものをいくつか紹介しましょう。
- 王族や聖職者のカプ
- 女性のカプ
- 自然環境のカプ
- 音のカプ
- 衣服のカプ
- 家具のカプ
王族や聖職者のカプ
古代のハワイにおいて、首長クラスは強いマナを持っているとされていたため、平民クラスとの接触はマナが減ると考えられて厳禁でした。
万が一、首長クラスの衣服をいたずらで着たりすると、問答無用で死刑です。
首長の影も踏んではいけませんし、首長の家に影がかかってもいけませんでした。ちなみに、カプ制度によって、ハワイの社会は4つの階級に分けられていました。
- アリイ:最高位で神の子孫とされた指導者、王族、貴族
- カフナ:神官、聖職者や職人
- マカアイナナ:庶民、平民
- カウパ:奴隷、社会から追放された人
女性のカプ
男尊女卑の考え(男性は女性よりも神聖である)を浸透させ、男性がより力を持つため、女性に対してのカプはとても多くありました。
たとえば、男性と一緒に食事をしてはいけない、バナナやココナッツ、赤身の魚を食べてはいけない、漁の道具に触ってはいけない、などです。
自然環境のカプ
環境を守るためのカプです。
ハワイで重要な食べ物であった鯖(オペル)と鰹(アク)に関しては、取りすぎによる絶滅を避けるため、産卵の時期には数カ月の禁漁という厳重なカプが敷かれました。
山の幸も同じく、一定期間、立ち入り禁止区間が設けられたそうです。他にも、飲料水の水源をきれいに保つため、水源となる池や滝などでの水浴が禁止されていました。
音のカプ
ヘイアウ(神殿)で戦いを祈願するときは一切音を立ててはいけませんでした。
祈願のときは近所の犬は口輪をされ、鶏は泣かないように躾されたそうです。
衣服のカプ
服にもマナが宿るとされていたため、古来のハワイでは他人の服を着てはいけませんでした。
一度着た服は着古すまで使用し、焼くか土に埋めて他の人が使えないようにします。
家具のカプ
家具の用途は、その用途にのみ使用可能でした。
たとえば、枕は頭を載せるためだけに使い、寝床は寝るためだけに使います。間違っても寝具に脚をのせたりしてはいけません。
もし本来の用途と違った使い方をすると、刑罰の対象です。
カプを破ることは死に直結した
当時はカプを破ると災害が起こると信じられていたため、カプを破ったものは、通常、死刑でした。
逃れる方法は統治者が特別に免罪(カナワイ)を通達するか、王族が作った逃れの地(プウホヌア)に逃げ込むしかありません。逃れの地に無事に逃げこみ、カフナから儀式を受ければ罪が許されました。
逃れの地はハワイ各地にありましたが、実際には周囲を王族の土地が取り囲んだり崖に面していたりしたため、そもそも逃げ込むことが困難でした。そのため、実際には多くの民が処刑されています。
また、王族などの身分が高い人がカプを破った場合、身代わりとして他の人が処刑されることもあったようです。幼いときの女王たちがカプを破ってバナナを食べてしまった際には、幼い王族であった彼女たちの代わりに、養育係が処刑されました。
他に伝わっている話では、ある夜、間違えて夫が食事をしている部屋に入ってしまった妻が、男性の食事風景を見たという罪で処刑されました。
前述したように、天災などを代表する何らかの罰が神より下されると信じられていたため、一人が「カプ破り」をすると強い結びつきがあったオハナ全員への影響があります。そのことを考慮し、家庭内でのカプ破りも基本的には首長に届けられたと考えられます。
ハワイ語のオハナの詳細にについては以下の記事で解説しています。
カプ制度の終焉
数百年に渡りハワイの社会を厳しく縛ってきたカプは、1819年にカメハメハ大王が亡くなったことで崩壊します。
カプ制度を崩壊へ導いたのは、カメハメハ大王の二人の妃、カアフマヌとケオプオラニでした。ケオプオラニはカメハメハ大2世の母、つまり国母で、カアフマヌはその王の後見人であったため、大きな権力を持っていたわけです。
カアフマヌは極端な女性差別を疑問に思っていた他、がんじがらめで社会全体に暗い影を落としていたカプ制度は改革が必要だと、長い間考えていたと伝わっています。そのため、古来の宗教を強く信仰していた夫のカメハメハ大王が死去すると、計画を実行に移しました。
まずは王族を集め、カプ制度の廃止を提唱したそうです。そして、カメハメハ2世を諭し、王族がまずカプ破りである「男女が食事を共にする」を実行してみせました。
国民は天罰を恐れ大変怖がったようですが、王族には何も起きません。結果的に、天罰などないことを証明してみせたのです。
その後は各地にあった神殿や、逃れの地の破壊命令が出ます。そのような大規模な宗教改革の翌年、アメリカのボストンからやってきたプロテスタントの宣教師によって、多くの王族がクリスチャンに改宗しました。
厳しいカプ制度は廃止となりましたが、現在では「禁止」という意味で使われていますし、漁業や山菜取りなどの環境保護についてのカプも使われ続けています。
カプは上流階級の威信と力を存続させるための「掟」だった
ハワイに移住し、ハワイの基を作ったとされるポリネシア人が持ち込んだ文化により、古くからハワイにはカプ制度(掟)がありました。
しかしそれが12世紀に厳しくなり、ハワイ王国まで継続され、国民は多くの決まりによって自由がないといえるような生活でした。
破れば原則死罪という厳しいルールです。
現在のハワイにおいてはそのような厳罰はありませんが、もしも「カプ」と書かれている場所をみつけたら立ち入り禁止のサインだと理解し、決して立ち入らないようにしましょう。
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