- なぜハワイに金毘羅神社と太宰府天満宮があるのか
- 金毘羅神社と太宰府天満宮の歴史について
- 金毘羅神社と太宰府天満宮の年間行事の紹介
ハワイは19世紀より、多くの国から移民を集めて産業を発展させた歴史があります。
その中で最も多く、一時はハワイにいる人口の半数以上を占めたのが日本人でした。
日本人移民は心の拠り所として、自分たちが生まれ育った土地の神社をハワイに多く建立します。
その中でも有名なのが、金毘羅神社と太宰府天満宮です。
この記事では、ハワイにある金毘羅神社と太宰府天満宮について解説します。その歴史をぜひ、一緒に振り返ってみましょう。
目次
ハワイの金毘羅神社と太宰府天満宮
ハワイの金毘羅神社と太宰府天満宮は、ホノルルの西側、カリヒ地区にあります。
金毘羅神社と太宰府天満宮は同じ敷地内にあり、年間を通じて日本と同じお祭りや催しがされています。
かつては日本人移民の心の拠り所でしたが、現在は多くのハワイアンからも愛され、お正月は初詣で混みあいます。
1920年に金毘羅神社、そして1952年に太宰府天満宮が、それぞれ分霊されてホノルルに建立されました。
境内にはその他にも、白崎八幡宮(山口県)、大瀧神社(広島県)、水天宮(福岡県)、稲荷神社(京都)、海津見神社(徳島)の5柱が祀られています。
日本では、日本政府によって1村1社という国家統制がなされたために、同じ境内に異なる神社が存在することはありません。
しかしハワイでは戦後に再建できなかった神社があり、それらが集められたため、各地の7つの神社が一か所に集まっている珍しい場所になりました。
同じ境内に7つの神社が集まっているため、まとめてのお参りが可能です。
なお、西日本の神社が多いのは、ハワイへの移民者に西日本出身が多かったためです。
名称:Hawaii Kotohira Jinsha & Hawaii Dazaifu Tenmangu
住所:1239 Olomea St, Honolulu, HI 96817-3343
営業時間:8:30~16:00
入場料:無料
休日:なし
トイレ:なし
駐車場:あり(無料)
公式サイト:https://www.e-shrine.org/
※2024年の情報です。訪問前に公式サイトを確認してください。
ハワイ金毘羅神社の歴史
ハワイ金毘羅神社の歴史をみていきましょう。
はじまりは1920年に香川県の琴平区にある御分霊がハワイに持ち運ばれたことでしたが、現在に至るまで紆余曲折を経ています。
真珠湾攻撃までのハワイ金毘羅神社
1920年に御分霊がハワイに勧請されてから、1924年にはアメリカで最初の金毘羅宮として認められて宗教活動を開始しました。
日本では漁業と商業の守護神として知られていたため地元の日系人たちに歓迎され、会員数は大きく伸びました。
1930年には山口県岩国市今津村の白崎八幡宮から御分霊が送られ、白崎八幡宮が設立。
同年の10月には広島県大竹市の守護神、大瀧神社の御分霊がハワイに着き、大瀧神社も設立されました。
金毘羅神社は1931年に57,320平方フィートの土地を手に入れ、鳥居を築き、天水舎を建て、狛犬や灯籠が寄贈されて神社の外観をなしていきます。
敷地内には公民館や武道場、弓道場、野外劇場、剣道練武場、相撲場などが建設され、1940年にはホノルルにおける日本人コミュニティの文化活動の本拠地になりました。
真珠湾攻撃後のハワイ金毘羅神社
ところが1941年の12月7日、日本のハワイ真珠湾への奇襲攻撃により、すべては一変します。
戦争に伴い12万人以上の日系アメリカ人が強制収容所に収容され、すべての宗教的・文化的活動は禁止されました。
宮司は日本へ強制送還され、金毘羅神社は臨時休社を余儀なくされます。
1948年には連邦軍の将校が敵国貿易法に基づいて金毘羅神社を襲撃、関係者を逮捕して財産を差し押さえました。
そこで1949年、神社は法律事務所に依頼し、アメリカ合衆国司法長官のトム・C・クラークとハワイ州、連邦外国人土地局を相手取り、損害賠償を求めて提訴。
日本政府の影響下にない民間組織に対する敵国貿易法の濫用と、不当な欧州や拘禁を訴えました。
訴えには1年かかりましたが裁判はわずか1日で終了し、1950年の5月18日、マクラフリン判事は原告の金毘羅側に有利な判決を下しました。
再びカパラマの所有地で、すべての活動を再開できることになったのです。
この裁判はアメリカの歴史上、日本の団体が起こした初めての訴訟で、他の日本の団体による同様の訴訟への道を開いたものと伝えられています。
1952年の7月24日、ホノルル福岡県人会の呼びかけにより、福島県西府市の太宰府天満宮から御分霊が運ばれてきました。
1957年、ハワイ州はハイウェイ建設の計画を明らかにします。
これにより、神社の敷地の3分の2は再び政府に徴収されてしまいました。その後、1962年に神社は移転しています。
ハワイ金毘羅神社とハワイ太宰府天満宮の年間行事例
どちらの神社でも、基本的に日本で行う行事はしていますが、中にはハワイ特有の行事もあります。
簡単に、ハワイ金毘羅神社とハワイ太宰府天満宮が関係する年間行事をみていきましょう。同じ日に行事が重なっているケースも多々あります。
【1月の催事】
初詣(1日)、元旦祭(1日)、お守り販売(8~9日)、オハナ・フェスティバル(10日)、左儀長(きぎちょう・17日)、月次祭(つきなみさい・17日)
【2月の催事】
還暦・厄年特別祈祷(14日)、月次祭・節分祭(14日)
【3月の催事】
醸造感謝際(6日)、ホノルル・フェスティバル(12~13日)
【4月の催事】
月次祭(3日)、春季感謝祭(10日)
【5月の催事】
月次祭(1日)、ペットEXPO(7~8日)、ホノルル神道連盟メモリアルデー(9日)
【6月の催事】
茅の輪くぐり(5日)
【7月の催事】
月次祭・七夕(3日)
【8月の催事】
てんじんさん学業成就(7日)、オタク夏祭り(7日)
【9月の催事】
月次祭・重陽の節句(4日)、秋季感謝大祭(25日)
【10月の催事】
月次祭(23日)、七五三・十三参り(10/23~11/20)
【11月の催事】
月次祭(6日)、新嘗祭(にいなめさい・23日)
【12月の催事】
餅つき(3日)、月次祭(4日)、年越しの大祓(31日)
お守りや御朱印などさまざまな種類がある
ハワイの神社には日本と同じものがありますが、ハワイならではのここでしか買えないお守りもあるため、日本からの観光客にもとても人気があります。
ハワイで買えるお守りは、日本と異なり大変カラフルです。
また、デザインがハイビスカスや亀(ホヌ)であるなど、ハワイ色も濃厚で、日本では滅多に見ないゴルフなどスポーツのお守りも販売されています。
そのため、自分のためだけでなく、お土産にする観光客が多いそうです。
なお、ハワイ金毘羅神社とハワイ太宰府天満宮の敷地内にあるお守り販売所にスタッフはいません。購入希望のお守りがあればその代金を封筒に入れ、箱の中に収めましょう。
ハワイ金毘羅神社とハワイ太宰府天満宮へお参りに行こう
ハワイは過去の一時期、日本人が移民の半数以上を占めている時期がありました。
そのため日本由来の文化も多く浸透しているのですが、神社もそのひとつです。
ハワイにある金毘羅神社と太宰府天満宮は同じ時期地内にあるため、わずか5歩でお参りが可能です。
カラフルでユニークなお守りもたくさん販売されているため、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。
ハワイの同じホノルルには他に出雲大社もあり、パワースポットとして人気です。ぜひ、ご利益を受けに参拝してみましょう。
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